物差しで、測れないもの。
9歳児が朝の30分でやってる大切なこと。
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朝、リビングの床に、ぶ厚い本が開いてあります。
魚図鑑です。
膝を抱えた小学4年生の息子が、その上に乗り出しています。
ランドセルは、横に転がっています。
「行くよ」と言うと、
「うん」と返ってきます。
返事はします。
目は、ずっと魚の方を見ています。
今日も魚に負けました。
顎が、前に出る
最近、毎朝、新しい魚を紹介されます。
今週は、ミツクリザメでした。
深海にいる、生きた化石のサメだそうです。
口を閉じているときは、ふつうのサメの顔をしているんですが、
エサが近づくと、顎が、ぎゅっと前にせり出してくる。
顎が、前に、出るらしいです。城之内を思い出します。
朝7時のリビングで、顎が前に出るサメの話を、わりと本気で説明されます。
私はコーヒー片手に、ふんふんと聞いています。
「すごいね」と私が言うと、
「うん、すごいんだよ」と息子が言います。
その「すごい」の中身は、たぶん、私の「すごい」の3倍くらい深いです。
私は朝のニュースを見ていただけの男です。
息子は、深海まで一回潜って戻ってきた人です。
朝のリビングで、深さに差がついています。
時給ゼロの男
息子が図鑑に向かう、毎朝の30分を、一般的とされる物差しで測ってみます。
時給、0円。
テストには、出ません。
英語でも、プログラミングでもありません。
「ミツクリザメを知ってると年収が上がる」みたいな話は、私は一度も聞いたことがありません。
履歴書に書いたら、面接で2秒、静かになります。
将来役に立つ確率は、深海より深いところに沈んでいます。
ふつうの物差しの上では、本当に、0なのかもしれません。
ただ、ひとつだけ書いておきます。
息子の顔は、その30分のときに、いちばん良い顔をしています。
机に向かっているときより、ゲームをしているときより、ずっと良い顔です。
物差しはゼロ。
本人は、人生最高の顔。
この、ふたつの落差。
たぶん、ここに、今日いちばん書きたいことが、ぜんぶ入っています。
本気で泣いた、深海の話
去年、もうひとつ、その落差を強く見せられた日があります。
その日、息子が、ガン泣きしました。
行く予定だった、さかなくんのイベントが、なくなりました。
あのギョギョッのさかなくんです。
理由は、いま思うと、ほとんど大人の都合でした。
息子は、けっこう前から準備していました。
どの魚の話を聞きたいか。
どの図鑑を持っていくか。
何を質問するか。
朝のリビングで、何度もシミュレーションしていました。
それが、なくなりました。
息子は、本気で泣きました。
私は、横で、しばらく何も言えませんでした。
「明日も図鑑読めるじゃん」と言える空気では、ありませんでした。
そのとき、はっきり、思ったことがあります。
これは、世界中のどんな物差しを当てても、たぶん、測れない。
経済の物差しでも、測れない。
学校の物差しでも、測れない。
会社の評価の物差しでも、測れない。
第三者のどの物差しでも、ぜんぶ「何も起きていない日」と判定されます。
でも、息子の中では、世界が一度ひっくり返りました。
そして、横で見ていた私の中にも、これは、けっこう深く、残っています。
物差しが届かない場所にも、人生は、ちゃんと起きている。
この日に、初めて、その感覚を覚えました。
面白がる、ということ
物差しが届かない場所に、毎日、心を置いて生きている人を、
私たちはたぶん、「面白がる人」と呼びます。
「面白がる」というと、ふざけてるとか、軽く流すとか、そんな響きがあります。
でも、息子のミツクリザメとガン泣きを見ていると、これは、ぜんぜん軽い言葉じゃないです。
面白がる、というのは、たぶん、こういうことです。
意味のないことを、全力でやれる時間を、自分の中に持っていること。
意味がない、というのは、他人から見て意味がない、という意味です。
時給0。
履歴書には書けない。
誰にも頼まれていない。
誰にも褒められない。
明日には忘れているかもしれない。
そういう時間に、本気で心が動いている時間です。
息子で言うと、ミツクリザメの顎の説明を、誰にも頼まれていないのに、毎朝、本気でやってくる、あの30分です。
大人で言うと、たとえば、こういう時間です。
仕事と関係ないのに、なぜか深夜まで作っているもの。
お金にならないと知っているのに、もう一回だけ、と試したくなる遊び。
誰も見ていないのに、自分の中で「ここ、もう少し」と、なぜか粘っているところ。
帰り道、同じ曲を、なぜか3周聴いている時間。
仕事帰りに寄った本屋で、表紙だけで、なぜか30分くらい立ち読みしてしまう本。
意味は、ないです。
でも、その時間は、本人の中で、なぜかちゃんと「ある」んです。
他人には見えていないけど、本人にしかわからない価値が、確かにそこにある。
これが、面白がる、というやつの正体だと思います。
頭の中に、勝手に喋るやつがいる
ただ、これは、大人になると、わりとあっさり失います。
ある日から、自分の中に、もう一人、声を持ち始めるからです。
これ、何の役に立つの。
これ、いつ実になるの。
これ、お金になるの。
最初は、外から来ます。
そのうち、自分でも、自分に対して、毎日、言い始めます。
ミツクリザメを覚えていても、声がする。
深夜に作っていたものを見ても、声がする。
30分立ち読みしてしまった本を、レジに持っていくか迷うときも、声がする。
その声に、毎日、応えていると、ある朝、ふと気づきます。
「あれ、最近、本気でどうでもいいこと、何にも見つけてないな」
ここまで来ると、けっこう、しんどいですよね。クリエイターの人にとっては
割とよくあると思っています。
そして、ここで、いちばん起きてはいけないことが、起きます。
最初は好きで始めたものを、最後に嫌いになって辞める。
もしくは好きだったことが、だんだんと嫌いになってくる。
世の中で、これがたくさん起きています。
そして、その背中を押しているのは、ほとんどの場合、自分の中のあの声です。
その声、AIから来てた説
この声が、最近、少し大きくなってきている気がします。
なぜか。
考えてみると、わりとシンプルな理由に行き当たります。
世の中の言葉が、似てきました。
タイムラインに並ぶ言葉が、似てきました。
成功している人の語り方が、似てきました。
「これからの時代は、こうだ」
「これからの発信は、こうだ」
「これからのクリエイターは、こうだ」
書いている人は、ぜんぶ違う人です。
なのに、似ています。
たぶん、これは、いまの情報環境の、自然な動きです。
そして、ここに、AIの話が、少しだけ関係しています。
AIの中身を、ものすごく雑に書くと、こうです。
AIは、確率の高い単語を、次から次へと選んで、文章を作ります。
「黄色」と言われたら、「バナナ」が出てきやすい。
「AI時代」と言われたら、「人間らしさ」が出てきやすい。
「Substack」と言われたら、「攻略」「フォロワー」が出てきやすい。
確率の高いものを、伝言ゲームで繋いでいきます。
これは、すごい技術です。
便利だし、もう人類は手放せません。
ただ、ひとつだけ、副作用があります。
確率の高い言葉を、みんなが使い続けると、世の中の文章が、ぜんぶ、平均値の近くに集まります。
そして、AIで書かれた文章を、毎日読んでいるだけで、人間の頭の中の確率も、だんだん寄っていきます。
書いている本人にも、たぶん、気づかれません。
「どこかで見た文章」が、静かに、増えていきます。この記事も
例外でないのかもしれません。
これは、文章だけの話ではないです。
人生も、たぶん、同じです。
確率の高い選び方を、毎日続けると、確率の高い人生になります。
便利かもしれません。
ただ、自分の人生のはずなのに、AIにも書ける人生になっていく、というのは、
わりと不思議な現象です。
「あれ、自分、最近、本気でどうでもいいこと、何にも見つけてないな」
たぶん、この声の正体は、これです。
自分の頭の中の確率分布が、静かに、世の中の真ん中に、引き寄せられている音です。
巻き込まれない生き物、わが家に1匹
ただ、わが家のリビングには、毎朝、その流れに巻き込まれない生き物が、一匹います。
息子です。
息子は、毎朝、確率の低いところを、覗き込んでいます。
ミツクリザメは、Googleで「人気の魚」を検索しても、上位には出てきません。
学校のテストの確率分布の中にも、たぶん、入っていません。
「親が朝7時に子供から紹介されて喜ぶ単語TOP100」というランキングを作っても、ミツクリザメは、たぶん、圏外です。
世の中の確率分布の上では、ミツクリザメは、ぜんぶ、外側にいます。
でも、息子は、毎朝、そこを覗き込んでいます。
そして、その30分のときに、人生で最高の顔をしています。
これは、たぶん、確率分布から外れた目盛りを、自分の中に持っている人にしかできない動きです。
確率の高いところに引き寄せられない、自分だけの目盛り。
これが、たぶん、ものすごく強いです。
AI時代に、確率の真ん中に流されない目盛りを、自分の中に持っているかどうか。
ここで、これから、人と人の差がついていくと私は思っています。
そして、この目盛りは、誰にも教えてもらえません。
朝のリビングで、図鑑を覗き込みながら、自分で見つけるしかない種類のものです。
息子は、いま、その練習を、毎日しています。
私の方が、たぶん、教わっている側です。
息子の机に、置きたいもの
息子が大きくなる頃、世の中は、いまよりも、もっと、確率分布のど真ん中に、人を引き寄せる場所になっていると思います。
便利になります。
速くなります。
すぐ答えが出ます。
正解っぽいものが、毎日、画面の中に、並びます。
その中で、息子に持っていてほしいものは、
いい大学でも、いい年収でも、いい肩書きでも、たぶん、ないです。
「ふつう、誰も覗き込まない場所を、自分の意思で、覗き込めるかどうか」
これだけだと思います。
息子の朝の30分は、たぶん、その練習です。
誰も褒めてくれないところで、本気で目が光る練習です。
私は、その隣で、コーヒーを飲みながら、ふんふんとうなずいているだけの人間です。
でも、そのうなずき方だけは、間違えたくないです。
「それって意味あるの?」
これだけは、絶対に言いたくないんです。
ここだけは、決めています。
物差しで、測れないもの
ここで、タイトルに戻ります。
物差しで、測れないもの。
それは、たぶん、こういうものです。
自分だけの、深海です。
世の中の確率分布の、いちばん外側にあって、誰にも紹介されていなくて、検索でも上位に出てこなくて、年収にも繋がっていないのに、自分の中で、なぜか、目が光ってしまう場所。
そこを持っているかどうか。
そして、そこに、本気で潜れるかどうか。
これが、たぶん、これからの時代に、いちばん残されている、人間の最後の縄張りです。
確率の真ん中は、AIが引き受けてくれます。
人間に残されているのは、確率の低いところで、なぜか目が光ってしまう、あの不可解な瞬間だけです。
そして、その瞬間を、何度でも持てる人のことを、「面白がる人」と呼ぶんだと思います。
面白がる、というのは、AI時代に、たぶん、いちばん強い武器です。
幸せの形も、ここに繋がっています。
数字で満ちる幸せもあるし、肩書きで満ちる幸せもある。
それは、それで、いいです。
ただ、最後に長く残るのは、自分だけの深海を、ちゃんと持っていた時間です。
そして、その深海の場所は、人によって、ぜんぶ違います。
人の深海に、自分の物差しを当ててはいけないし、
自分の深海も、人の物差しでは測られない。
それで、いいんです。
物差しは、たぶん、人の数だけあります。
そして、深海も、たぶん、人の数だけあります。
明日も、深海から来ます
息子の魚図鑑は、今日もリビングの床に開いてあります。
明日も、たぶん、私の知らない魚が、紹介されます。
私は、明日も、たぶん、「すごいね」と言います。
息子は、明日も、「うん、すごいんだよ」と返します。
その「すごい」は、私の「すごい」より、ずっと深いところにあります。
私は、追いつけません。
でも、横で、ふんふんとうなずいているだけで、もう、満足なんだと思います。
確率の真ん中で生きるなら、AIでもできます。
確率の外側で、なぜか目を光らせている人の営みは
たぶん、まだ人間にしかできません。
ミツクリザメは、明日も、深海から、わが家のリビングまで、来る予定です。
私は、ぜんぶ忘れないように、ここに書いておきます。
息子は、たぶん、ぜんぶ覚えています。
STΛCK




何でしょう、じーんとしました🥲
息子さんも、息子さんの世界を尊ぶスタさんも、みんな尊い。
深海に潜る人 今までそんな光景を何度も見てきた気がします。私もまだ深海に潜れるでしょうか。この文章が私の胸に深く深く潜ってきました。ありがとうございます。