坊主80人を率いた話
ワールドカップの夜に、思い出したこと。
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昨日、ワールドカップを見ていました。
画面の向こうには、国旗とスタジアムと、数え切れない祈りがあった。
後半のロスタイム、残り数分。そこで1点を決められて、2対1で負けた。
試合が終わってSNSを開いたら、
「○○が悪い」「○○さえ出てなければ」みたいな言葉がずらっと並んでいて。
正直、ああいうことを平気で言える人って、私の周りには一人もいないんですよね。
そして同時に、ちょっとだけ羨ましくもなる。あんなに自信満々に他人を採点できる
人生、それはそれで体幹が強い。
私はといえば、自分が外したシュートを21年経っても引きずっている側の人間です。
そう、外したんです。話はそこから始まります。ちょっとお付き合いください。
栄光の話ではないです。むしろ逆。
小さなバスケ部で、ずっと負け続けた人間の話です。
スラムダンク罪深い説
私がバスケを始めたのは、兄の影響と、夏休みに
再放送されていたスラムダンクでした。
世のお父さん・お母さん。あの夏のテレ朝は、
全国に何万人ものバスケ少年を量産したと思います。罪深い。
最初は別に興味なんてなかったんです。
流れでやってただけ。それがいつの間にか、完全に沼っていた。
小学生の頃の身長は150センチくらい。決して大きくない。
だからポジションはポイントガード。スラムダンクで言うところの、りょーちんです。
とにかくドリブルを練習しました。
体育館だけじゃ足りなくて、近所のコートで、
高校生がやってるフリースタイルバスケを一人で真似していた。
今思えば、ただ近所で一人で股の間にボールを通している小学生です。
職務質問されなくてよかった。
そのくらい、バスケが好きだったんです。
ミニバスではキャプテンもやりました。なんとなく、楽しく。
その「なんとなく」が、中学で完全に消し飛びます。
白髪鬼と、坊主80人
私の地元の中学は、ミニバス上がりが集まる強豪でした。
地区大会で勝つのは当たり前。
応援は「鬼のォ、鬼のォ、オフェンスゥ!」と野太い声を張り上げる、
超攻撃型のチームです。
文字にすると完全にヤバい宗教ですが、当時は真顔でやってました。
攻撃型ということは、速い展開がマストになる。
中学バスケは8分×4クォーター、32分を走り続ける体力が要ります。
だから毎日、校庭を10キロ走ってから、
体育館で鬼のシャトルラン。校庭で走った分はなぜかカウントされない。
あれは未だに会計監査を入れたい。
顧問は、安西先生が「白髪鬼」と呼ばれていた現役時代、あのまんまの人でした。
手には竹刀。とにかく昭和。今なら完全にアウト寄りですが、
当時はそれが「普通の指導」だったんですよね。時代って怖い。
そんな環境でしたが、ミニバスのキャプテン経験もあってか、
80人の部で、1年の私にも時々プレーのチャンスが回ってきました。
そこで最初に学んだのは、やってきたこと以上の結果は出ない、ということ。
掛け軸に書いてありそうですけど、これがバスケだと容赦なく証明されるんです。
コートが狭いから、一つのミスで得点がばかすか入る。
流れが傾くと、嘘みたいに連続得点を取られる。
練習で反射神経にまで刻んだことを、そのまま出すしかない。
焦りは禁物。焦った瞬間に、足から順番に他人の足になります。
いけます
今でもよく覚えている試合があります。1年の、都大会の準決勝。
スコアは80対83。4クォーター、残り1分。
スリーポイントが得意だった私を見込んでのことだったと思います。
「いけるか?」と聞かれて、私は静かに「いけます」と答えた。
我ながら、漫画の主人公みたいなセリフです。
問題は、漫画とは結末が違ったことなんですが。
交代してコートに入ると、すぐにボールが回ってきました。
4クォーターの1プレーは、それだけで試合を決める重さがある。
私は躊躇なくシュートを放った。
手を離れたボールは、リングに当たって、外に出た。
それだけのことです。一瞬でした。
結論、入りませんでした。
逆転はならず、私たちは負けた。
そしてそれは、3年の先輩たちの、最後の大会だったんです。
引退試合。私がシュートを外して、負けた。
泣いている先輩がいた。何も言わず、
ただ上を向いている先輩がいた。あの光景は、今でも忘れられません。
「ごめんなさい」と謝る私に、先輩たちは「よくやった」と言ってくれた。
正直、この「よくやった」が一番効きました。怒られた方が、まだ楽だった。
家に帰ってから悔しすぎて、1週間バスケができませんでした。
中1にして、早くも引退ムードです。
誰かの何かを背負うことが、こんなにきっついんかと。
その日、私はバスケが少し嫌いになりました。
部長になった
その後、なんとか立て直し、先輩たちが引退して、
私は2年になり、部長になりました。
80人をまとめなきゃいけない。1年の時とは立場が違う。
しかも、年上の3年までメンバーにいる。
後輩が上司に指示を出す構図です。地獄か。
でも私は、あの1年の試合がどうしても忘れられなくて。
だから、心を鬼にしました。
当時は坊主。「必勝」と書かれた空気が漂う丸刈り80人。
そんな組織を、後輩の身分でまとめるわけです。
そこで学んだのは、人は言葉だけじゃ動かない、ということでした。
「ちゃんとやれ」と言って動くなら、世の中の中間管理職は全員もっと痩せています。
だから私は、誰よりも早く来て、誰よりも遅くまで練習した。
そして誰よりもふざけ倒して、チームを鼓舞する役を引き受けた。
要は、一番マジメで、一番アホ。この振り幅が、たぶん効いたんだと思います。
それが正解だったかは、今でも分かりません。
でも、上級生にも下級生にも認めてもらうには、
言葉じゃなく、背中で見せるしかなかった。
少しずつ、チームはついてきてくれるようになりました。
そして2年で部長として、去年と同じ大会の時期がやってくる。
ただの1年だった時とは違う。チームのトップとして、
全員のケアをしながら、勝負に挑んだ。
結果は、準決勝で、また負けました。
そう。負けたんです。
ここまでやっても、最後は勝ちか負けかしかない。スポーツは本当に容赦がない。
何も言えなかった
そしてこれも、出来すぎた話で我ながら疑うんですが、本当の話です。
その試合の後半、コートに出た1年がシュートを外した。
試合が終わったあと、その子は泣きじゃくっていました。
1年前、まったく同じことをしたのが、私自身だった。
だから「気持ち、分かるよ」と、言いそうになったんです。
でも、寸前で飲み込んだ。
その子が背負っていたものが、私と同じだったかなんて、
分かるわけがなかったからです。
同じシュートを外しても、その子の1年と、私の1年は別物です。
「分かるよ」って、たぶん一番言っちゃいけない言葉だった。
安いんですよ、その四文字が。
「次がんばろう」も言えなかったです。
なぜならその時の私は2年で、引退するのは3年。
来年がある人間が、来年のない悔しさに「次」を持ち出すのは、
ちょっと違う気がして。
しかも正直に言えば、自分自身をもう一回奮い立たせるエネルギーすら、
その時の私には残っていなかった。
結局、私は、何も声をかけない、を選びました。
これが正しかったのかは、今でも分かりません。
おつかれさまでした
話を、最初に戻します。
昨日、ロスタイムで点を決められた選手たちを見て、
少しだけ、あの頃の自分を思い出しました。
ただ、重ねるのは違うな、とも思います。
私のは、たかが一部活の話です。
向こうは、国を背負って戦っている。
何万人の視線、画面越しのため息、翌朝の言葉まで、全部あの背中に乗っている。
私の坊主80人と並べた瞬間に、サッカー協会から怒られても文句は言えません。
それくらい、規模が違う。
だから私は、彼らの気持ちが「分かる」とは言いません。
分かったふりをするのが、一番失礼だと思うので。
ただ、一つだけ言えることがあるとすれば。
背負ったことがある人間ほど、外した人に安易な言葉を
かけられなくなる、ということ。
あの日、泣く1年に何も言えなかった私には、それだけは少し身に覚えがあります。
本当に背負った場所の重さを知っている人ほど、
外から「○○が悪い」なんて、簡単には言えないはずなんです。
念のため書いておくと、批判するなという話ではないです。
日本がもっと強くなるために、見ている側の声は要る。
厳しい評価も、絶対必要なんだと思う。
ただ、批判と、誹謗中傷は違う。
選手を分析するのと、人格を殴るのは、別の行為です。
前者は応援で、後者はただの八つ当たり。
そこの線だけは、大人として踏み外さないでいたい。私も含めて。
と、ここまで真顔で書いてきて、最後に一つだけ、力の抜けた本音を。
サッカー、私はそんなに詳しくないです。
なのに、昨日も普通に見てしまった。
一点入るたびに声が出て、外すたびに頭を抱えていた。
あれだけの熱狂を、たった一個のボールで生み出してしまうスポーツって、
やっぱりすごい。興味のない人間まで巻き込んで、夜中に正座させるんだから。
だから、勝ち負けの採点は、私はしません。
ただ一言だけ。
侍ブルー、おつかれさま。
STΛCK



私は全国大会決勝でボロ負けしたのが
部活の引退の最後の試合でした
かけた熱や負けた悔しさ
悔しい気持ちもなくなるような敗北
色々な経験をしてきた
たしかに特定のワンプレイを切り取れば
最適解ではなかったかもしれない
それでも、罵倒じゃなくて
自分も悔しがる
そういった熱の逃がし方がかるんじゃないのかな
スポーツ観戦という、
熱狂しやすい環境だからこそ
その熱を正しい向きに向けてあげる
そういった応援を心がけたいと思う
りょーちんでみっちーだったと 胸熱