幸という字は、手錠の形をしている。
幸せは、手首の中にある話
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「幸せになる方法」という記事を、今週だけで3本見ました。
中身はそれぞれ違うんですが、よく見ると、どれも同じ前提の上に立っています。
「幸せは、何かを足せば増える」
足りないから、足す。
習慣を足し、人脈を足し、収入を足し、フォロワーを
足していけば、いつか幸せの完成形に届く。
今日は、この前提を少しだけ疑う話をします。
幸せって、本当に足し算なんでしょうか。
手錠の話
先に一本だけ釘を刺しておきます。
字源は、裁判の判決文ではありません。
「幸」という字には、若死にを免れることから「さいわい」を表す、
という説明があります。
一方で、白川静さんなどが採った「手枷の象形」という説もある。
この記事では、その手枷説を、幸せを考えるための補助線として使います。
漢字警察の皆さん、今日は警棒をしまってください。
こちらも震えながら書いています。
白川静さんは、漢字の成り立ちを一生かけて調べた学者です。
『字統』『字訓』『字通』という字書三部作を書き、文化勲章も受けています。
その白川さんの説では、「幸」は手枷の形から来ている。
手枷というのは、昔の手錠です。
罪人の両手にはめる、木でできた枷。
あの形が「幸」のもとだと見るわけです。
手錠の形の字が、どうして「しあわせ」になるのか。
考え方はこうです。
昔は、罪を犯せば手枷をはめられた。
下手をすれば、もっと重い刑もあった。そういう世界で、
ぎりぎり重罰を免れた人がいる。
「……危なかった」
この「危なかった」が、幸のはじまり。
つまり「幸」は、何かをもらった時の字ではない。
ひどいことに、ならなかった時の字。
幸せの原点は、獲得ではなく、無事。
プラスされた状態ではなく、マイナスが来なかった状態。
年賀状の「幸多き一年を」が、手錠の大量発送に見えてくる問題はいったん脇に置くとして、この説を採るなら、幸せは最初から足し算の側にない。
引き算を免れた側にある。
執という証人
もう一文字、証人を呼びます。
「執着」の「執」。
この字の左側には、現代の字形で見ると「幸」が入っています。
「執」は、手枷をはめられ、ひざまずいている人の形だと説明されます。
左に手枷。右に人。かなり物騒なレイアウトです。
同じ手枷から、二つの言葉が見えてくる。
手枷を免れると、幸になる。手枷にとらわれると、執になる。
「幸せをつかむ」という言い方があります。
でも、つかみにいったはずのものに、
いつの間にか自分の方がつかまれていることがある。
もっと欲しい。まだ足りない。次はあれが必要だ。
その手つきが強くなった瞬間、幸福の話は、少しずつ執着の話に変わっていく。
ここまでが、古い字形から見えるひとつの読みです。
では、現代の生活で見ても、同じことは起きているのか。
私は、起きていると思っています。
足し算の幸せには、見落としやすい弱点があります。
増やすと、普通の位置がずれる
年収が400万円から600万円に上がったとします。
最初の数ヶ月は、かなりうれしい。
コンビニでアイスを選ぶ時、少しだけ指が強気になる。
ハーゲンダッツのフタも、いつもより軽く開く気がします。
でも半年もすると、600万円は「うれしいこと」ではなくなります。
「今の自分の普通」になる。
これはスマホの明るさに似ています。
夜、暗い部屋でスマホを見ると、画面がまぶしい。
でも数分たつと、目が慣れる。さっきまで明るかった画面が、普通になる。
人間の幸せも、それに近い。
増えた瞬間はまぶしい。でも、しばらくすると目が慣れる。
そして、もっと明るい画面が欲しくなる。
フォロワーも同じです。
100人から1,000人になると、最初は画面を何回も見ます。
スクショも撮る。たぶん撮る。私は撮ります。
でも、1,000人はすぐに「普通」になる。
すると次は3,000人、5,000人、1万人が見えてくる。
これは意志が弱いからではありません。
人間には「慣れる」という機能があります。
暑さにも、寒さにも、騒音にも慣れる。
あの便利な機能が、手に入れたものにもちゃんと働いてしまう。
心理学では、こうした状態を「快楽のランニングマシン」と呼ぶことがあります。
走っている。汗もかいている。
でも、景色は変わらない。
足し算の幸せは、足すたびに「普通」の位置がずれます。
ゴールテープを持った係の人が、笑顔で後ずさりしている状態です。
怖いです。
しかも、その係の人、たぶん足が速いです。
なくなる痛みは、長く残る
思考実験をひとつ。
臨時で1万円もらった日と、急な出費で1万円払った日を比べてください。
臨時で1万円もらった日は、うれしいです。
帰り道に少しいい弁当を買うかもしれない。
コンビニでいつもより高いアイスを手に取るかもしれない。
ただ、寝る頃にはわりと忘れています。
一方で、急な出費で1万円が消えた日は違います。
洗濯機の水漏れ。スマホの画面割れ。自転車のパンク。
払った瞬間はもちろん痛いし、夜になっても少し腹が立つ。
「なんで今日なんだよ」
布団の中で1回思い出す。
翌朝、歯を磨きながらもう1回思い出す。
カードの明細を見た日に、また思い出す。
同じ1万円なのに、入ってきた喜びより、出ていった痛みの方が長く残る。
行動経済学では、こうした反応を「損失回避」と呼びます。
難しく言うと、人は得る喜びより、失う痛みに強く反応しやすい。
雑に言うと、人間の心の帳簿は、出ていったお金だけ赤ペンで丸をつけてくる。
嫌な会計係ですよね。
このあたりの意思決定研究を体系化したカーネマンは、ノーベル経済学賞を受けています。
1万円の修理代に腹を立てる研究でノーベル賞ではありません。
もちろん。実際はもう少しちゃんとした話です。
ここから、大事なことが見えてきます。
得る喜びより、失う痛みの方が長く残りやすいなら、
幸せを支えているのは「何を足したか」だけではありません。
健康を失っていないこと。信用を失っていないこと。眠れる夜があること。帰る場所があること。
こういう「引かれていないもの」の方が、ずっと下で効いている。
足し算の幸せは、床の上で踊っています。
でも、床が抜けたら踊れません。
床って、普段は見ません。
だから忘れる。
欲しいもの棚は増える
三つ目は、単純な話です。
「欲しいものリスト」を書き出してみてください。
終わりません。
新しいPC。いい椅子。広い部屋。売れる商品。増える読者。旅行。服。カメラ。深夜だけ急に欲しくなるホットサンドメーカー。
Amazonの欲しいものリストは、
人間の欲望を24時間体制でバックアップしています。
では次に、「失いたくないものリスト」を書いてみる。
健康、家族、友人、仕事、時間、信用、眠れる夜。
だいたい、このあたりで手が止まります。
欲しいものは、コンビニの新商品棚みたいに毎週増える。
でも、失いたくないものは、冷蔵庫の中の卵みたいに数えられる。
6個ある。割れていない。よし、今日も大丈夫。
それくらいの確認でいい。
無限のリストを追いかける戦略と、有限のリストを守る戦略。
進捗管理ができるのは、どう考えても後者です。
無限リストの進捗は、何年やっても「まだ」です。
有限リストの点検は、30秒で終わる。
今朝の私なら、家族が元気で、自分も元気で、仕事があって、寝る場所があって、手首に何もはまっていない。
以上、異常なし。
所要時間28秒でした。
それでも、足し算ばかり売られている
ここまでの話は、そんなに難しくありません。
たぶん、みんな薄々知っています。
なのに、タイムラインは今日も「足す方法」で埋まっている。
なぜか。
理由はかなり単純で、引き算の点検は商品にしにくいからです。
「今日も、失っていないものを確認しましょう。以上です」
セミナーが30秒で終わります。会場費が回収できません。
一方、足すものは無限にあります。
今月は朝活。来月は人脈術。再来月は新しいAIツール。
その次は発信術。その次は副業ロードマップ。講座の棚が、永遠に空にならない。
無限リストは、買う側にはしんどい。
でも、売る側には便利です。
これは悪意の話ではありません、ただの構造です。
ただ、構造だと知っているだけで、焦らされる回数は少し減ります。
「まだ足りない」と思った時に、本当に足りないのか、
それとも普通の位置が勝手にずれただけなのか。
一度、見分けられるようになる。
それは向上心の否定ではない
ここだけは、誤解されたくありません。
引かれていないものを数えて満足するなら、人間は何も作らなくなるのではないか。
私も一瞬、そう思いました。
でも、違う。
これは、アクセルと燃料計の話です。
足し算は、アクセルです。踏めば進む。私も毎日踏んでいます。
作りたいものは山ほどあるし、AIについての情報収集は毎日しています。
両手が手枷に伸びかけている自覚はあります。
一方で、引き算の点検は、燃料計です。
アクセルを踏むな、という話ではありません。
燃料計を一度も見ないまま、アクセルだけ踏み続けるな、という話です。
「幸せになる方法」の弱点は、アクセルの踏み方ばかり教えて、
燃料計の場所を教えてくれないことです。
だから読めば読むほど、進んでいるのに焦る。
速度は出ているのに、残量がわからないからです。
順番は、たぶんこうです。
まず、燃料計を見る。家族は元気か。体は動くか。眠れているか。
信用を失っていないか。帰る場所はあるか。
それを30秒だけ確認する。
それから、好きなだけ踏む。
古い字形との答え合わせ
幸の字を作った人たちは、行動経済学を知りません。
ランニングマシンも見たことがありません。
それでも、幸せを「免れた形」で書きました。
足したものの側ではなく、引かれなかったものの側に、字を置いた。
基準点の引っ越しも、損失の重さも、欲しいものリストの長さも、理屈をこねくり回した現代が、三千年かけてようやく一文字に追いついた。
そういう話なのかもしれません。
幸という字は、手錠の形をしている。
なら、今日の幸せは、もうあなたの中にあるのかもしれない。
燃料計を見てから、今日もアクセルを踏みにいきます。
それでは、また。
STΛCK



幸せとは、何かを増やして手に入れるものではなく、今ある大切なものを失っていないことに気づくところから始まるのかもしれない。
でも、人は一度手に入れたものを「当たり前」にしてしまう生き物でもある。
そして、その「当たり前」に慣れてしまった時、まるで一本の棒を失ったように、「幸」を「辛」へと変えてしまう。
目の前にある新しいものを欲しがり、誰かを羨み、さらに何か大きなものを掴もうとする。
気づけば、そのループは繰り返される。
だからこそ、まずは今あるものに目を向けること。
当たり前を、当たり前のままにしないこと。
そして、その時初めて、「幸せ」は探すものではなく、すでにそこにあったものだと気づく。
さらに、その先で気づけることもある。
この先、手に入れたものは「幸せ」そのものではなく、その幸せを育み、守るための副産物であり、盾なのだということに。
本質過ぎて、有益以外ありません!
足るを知りながら、だから、減ってないものの数と、欲しいものの数を、常に均衡させて、そのためにリストアップして、均衡が破れないようにすることを、今日からやっていこう。