値札が剥がれたあとも、私は創る。
AI時代のクリエイターのお話
FunStack News をお読みいただきありがとうございます。
無益な発信を有益風に発信しています。
今日は普段、あまり言わないことをあえて言葉にする記事です。
クソ長いので、興味ある人だけ読んでください。
以前、配信中にこう言われました。
「生き急いでるね」
その時は、誰かと競争しているわけでもないし、
そんなつもりもないけどな、と思いました。
今こうして記事に書いている時点で、
少し気にしているのは間違いない。
私はたしかに、何かに追われるように作っている。
流行に追いつきたいわけじゃない。誰かを追い越したいわけでもない。
自分で「やる」と決めたことに、
まだ自分自身が追いついていない。
たぶん、それだけです。
先に、どこから書いているかを
明らかにしておきます。
私は広告と制作の現場にいる人間です。
先週の金曜日も普通に、締切のある仕事をしています。
AIを外から眺めて論じているのではなく、
AIで作ったものを納品して、修正を受けて、請求書を出す側にいる。
これから書くことは、
そこで毎日見ているものの話です。
値段がついていた
このAI時代、現場に長くいると、昨日まで値段のついていた作業が、急に安くなる瞬間を何度も見ます。
三日かかっていたものが、三十分。
専門的な機材が必要だったことを、手元の端末だけでできるようになる。
何年もかけて覚えた操作が、ある朝ソフトを開くと、小さなボタンとして追加されている。
しかも、だいたいメニューの二段目くらいに、涼しい顔で並んでいます。
こちらとしては、
「こっちは何年かけたと思っているんだ」
と、一度くらい言いたくなる。
ソフトは、特に悪びれません。
「新機能を追加しました」
以上。
せめて「長らくお疲れさまでした」くらいの一文がほしいです。ないです。
技術は昔からそうでした。
フィルムは、デジタルになった。
暗室でやっていた作業は、パソコンの中に移った。
高い機材が要ったことを、今はみんながスマホでやっている。
AIは、その列の一番うしろに並んだだけです。
十年かけて覚えた技術でも、明日から誰でも使えるようになれば、
同じ希少性は残りません。
努力が無駄だった、という話ではない。
ただ、あの時間の領収書は、どこにも残っていません。
過去にかかった時間を、そのまま未来の料金表に載せることはできない。
これは、私にも普通に刺さります。
私が十年かけて覚えたものの中にも、たぶん何個か、
来年ボタンになるやつがあります。
早い遅いの話じゃない
こう書くと、AIを早く使えるやつが偉い、という話に聞こえるかもしれません。
そういう話をしたいわけじゃないです。
早い遅いで並べたところで、順番が入れ替わるだけです。
クリエイターには、それぞれの流儀があります。
手を動かす速さで勝負する人がいる。
一枚に時間をかける人がいる。人と話しながら形にする人がいる。
流儀が違えば、最適なやり方も違います。
だから、これがクリエイターの正解だ、と決めつけるつもりはないです。
ただ、流儀が何であれ、変わらないものがある。
作り続けること。
そして、人のせいにしないこと。
自分が決めた選択を、自分が好きなことを、人のせいにしない。
時代の流れのせいにしない。
こう書くと、たいそうな精神論に見えます。
言っている本人が、たぶん誰よりも強くそう思っている側にいます。
私は制作の現場にいます、値段が消える瞬間を、毎月のように目の前で見ている。文句を言う理由なら、いくらでも作れる立場にいます。
それでも、人のせいにし続けたところで、
その人なりの進化は起きない。
一つも起きない。
ここが厄介なところで、クリエイターというのは、
そもそも作ることが好きな人たちです。
好きだから、傷つく。
やりたくない仕事が続いた時。作ったものが、まったく違う理由で否定された時。
人は静かに、自分の好きだったものから手を離します。
だから伝えたいです。
仕事は嫌いになってもいいです。私も普通になります。
でも、作ることまで嫌いにならないでほしい。
できないから頼む
人のせいにしない、というのは、目の前で起きている変化を、自分の話として引き受けることだと思っています。
これまでの制作には、
「自分ではできないから、できる人に頼む」
という構造がありました。
写真を撮れないから、写真家へ頼む。
デザインができないから、デザイナーへ頼む。
Webサイトを作れないから、制作会社へ頼む。
この構造は、たぶん形を変えて残ります。
ただ、形にするだけなら、自分でできる範囲は確実に広がりました。
画像を作る。映像をつなぐ。文章を書く。音楽を作る。Webサイトを組む。
全部やった夜、だいたい一個も完成していないです。
それでも、少し前まで専門知識がなければ入口にも立てなかったものを、今は誰でも一度は試せる。
そうなると、人に頼む理由も変わっていきます。
「自分ではできないから、あなたに頼む」
だけではなく、
「自分でも作れるけれど、あなたと作りたい」
と思ってもらえるかどうか。
私がいる会社にも、ナショクラ案件で
長く続いている取引があります。
自社にとっては、その会社が生命線です。
制作費だけを比べれば、もっと安い会社がある。
速度だけなら、もっと速いところもあります。
それでも関係が続いている。
過去にどんな企画が通らなかったのかを知っている。
担当者がどこで不安になるのかも分かる。
急な変更が入った時に、何を守り、何なら動かせるのかも判断できる。
問題が起きれば、誰が電話に出るのか。
見積書には、載っていません。
載っているのは、日数と、人数と、消費税です。
「長年の察し 一式」
という項目が使えたら便利ですが、たぶん、単価の欄で止まります。
ここで、内側にいる人間として正直なことを書きます。
この業界にいると、「なんでこれが仕事になっているんだ」と思う瞬間が、ないわけではないです。
成果物だけを並べて見れば、そう見えることがあります。
でも、そう思った時にいつも引き戻される。
仕事は、完成したものの外側にも半分くらいある。
見積書に載っていない部分を築いてきたのは、その人なりの能力です。
そこにケチをつけるのは、全くもって違う。
道具が安くなると、価値は消えるのではなく、ばらけます。
これまで一つの金額の中に混ざっていたものが、
少しずつ分かれて見えるようになっているんだと思います。
嘘が効かない
そして、ばらけたことで、はっきりしたことがあります。
実務でお金になるところでは、嘘が効かなくなった。
これは本当にそうです。毎日その場にいるから、はっきり言えます。
いくらAIで作れたとしても、それをクライアントに納得させるには、別のものが要るからです。
どういう経緯でこの形になったのか。どこに気をつけたのか。
権利はどうなっているのか。商標は大丈夫なのか。
打ち合わせの席で、目の前の人から聞かれます。
そこで詰まると、どれだけ見た目が良くても通りません。作れたからいい、ではない。
事業にしようとなった時点で、それ相応に学ぶ必要があります。
市場が何を求めているか、みたいな話をする前に、もっと手前にある話です。
目の前のお客様が、何にお金を払っているのか。
ただ、それだけの話です。
だから、外から見て言うことについては、慎重でありたいと考えています。
その世界にどっぷり浸かってもいないのに、
中の経緯も知らないまま、見たままを言う。
それは、ただの怠慢に過ぎない。
これは、自分にも向けています。
私がこうして書けるのは、AIに詳しいからではない。
現場にいて、毎日危機感の中で戦い、その判断を実際にしているからです。
もし明日その場所を離れたら、私が言えることも、そのぶん減ります。
そして同じことが、こちら側にも返ってくる。
そして、AI時代というのは、本職のクリエイティブにも、めちゃくちゃ生きている部分があります。
今までこれだけかかっていたものが、これだけ楽になった。
本職外の人だけが利益を得たのではないです。
本職の人も、同じだけ利益を得ました。
それなのに文句ばかり言って、何も進めないのであれば、それもまた、ただの怠慢です。
言われた通りに
では、この時代にクリエイターとして生き抜くために
何をする必要があるのか。
それはAIを学んで言われたことを速くやる、という意味ではないです。
依頼されたものを、正確に形にする。
納期を守り、仕様を確認し、求められた品質まで持っていく。
これは仕事として欠かせません。偉そうに書いていますが、私の一日の大半も、言われたものを言われた通りに作る時間です。
ただ、それだけなら、作業に近い。
創るという行為は、その少し手前から始まる気がしています。
本当に、必要なのは、それなのか。
「高級感を出してください」と言われたとして、
高級に見せることが本当に正しいのか。
「写真を作ってください」と言われたとして、
必要なのは写真ではなく、商品の見せ方そのものを変えることではないのか。
そんなことを言う制作会社は面倒だ、という話でもあります。自覚はあります。
依頼に逆らいたいわけじゃないです。
言葉の奥にある目的まで、一度考えたいだけ。
AIは、与えられた問いに対して、かなり速く答えを出します。
これから作る側に要るのは、問いをそのまま受け取らない姿勢のほうです。
前にも一度、同じことを書きました。
道具が便利すぎると、人間のほうがテンプレに合わせ始める。
最終的に、人間が素材になる。
あれから道具はさらに便利になりました。だから、この話はもっと近くなった。
機械は疲れないし、深夜二時にゴリラを三十体作っても、翌朝は普通に動いています。
こちらは、眠い。
翌朝、私は動きません。
大人の遊び場
こういうことを毎日仕事で考えていると、だんだん息が詰まってきます。
前に一度、ツールを無料で配り続けている理由を書きました。
いちばんの理由は、横のつながりが欲しかった、でした。
一人で作っていると、たまに虚しくなる。作っている間は楽しいのに、作り終わったあとに妙な静けさが来る。これ、何のためにやっているんだろう、と思う。
あの静けさは、たぶん、好きだったものを嫌いにさせる側の入口です。
だから、持ち寄れる場所を先に作りました。
ルールをきっちり決めて、目的を掲げて、成果を出す設計にすることもできた。
そうしなかったのは、それをやると本来好きだったものまで嫌いになると、自分で分かっていたからです。
人が集まれば、仲良くしたい人もいれば、そうでもない人もいます。
その全員を、同じ目的で一列に並べようとすると、必ずどこかが軋む。
だったら入口は「楽しい」に置こう。
Fun(楽しい)をStack(積み上げる)で
FunStackだわ、、。
そう決めました。それだけの順番です。
大人には、洗濯も、返信も、明日の会議もある。
その隙間で一枚作れたら、それはもう十分すごいです。
そして、あの場所で絶対に守りたいことは一つしかないです。
誰がどんなものを出してきても、否定しない。
「それ、なに?」ではなく、「それ、面白いじゃん」と言えること。
これだけ。
人が作ることを嫌いになるのは、たいてい、否定された後です。
だからそこだけは塞いでおきたい。
そういう設計や想いに共感をしてくれた人が
集まってるのが、FunStackです。
手段と目的
話は変わって、AIで作ったものはクリエイティブじゃない、という話をときどき見ます。
アートの歴史をつらつら並べて言うこともできますが、面倒なのでシンプルに。
その議論に、私はあまり興味がないです。
AIかAIじゃないかは、手段の話だからです。
手段は、目的があって初めて選ばれる。そして目的は、人によって全然違います。
自分の子供に絵本を作りたくて学ぶ人がいる。
頭の中にある世界を、誰かに見てもらいたい人がいる。
目の前の仕事にどう使うかを、真剣に考えている人がいる。
この三人を、同じ物差しで並べられるはずがない。
絵本を作りたい人に「収益化しないんですか」と聞いても意味がないし、
仕事で使う人に「もっと自由に作れば」と言っても的が外れています。
みんな違ってみんないい、というのは、たぶんこういうことです。
目的が違えば、正解も違う。使う道具も違う。かける時間も違う。
だから、道具の名前で人を分けるのは、
いちばん意味がない分け方だと思っています。
私にとっての覚悟
ここまで書いてきて、最後に、自分の考えを置いておきます。
クリエイターという言葉は、ラテン語のcreareから来ていると言われています。
意味は、生み出す、作り出す。
それだけです。
上手いとか、速いとか、何で作ったかは入っていない。
生み出す人。それがクリエイターの、いちばん最初の意味だったことになります。
だとしたら、私が考えるクリエイター論は、こうなります。
創り続けている人が、クリエイターである。
作った回数でも、稼いだ額でもない。
今日も何かを生み出そうとしているかどうか。それだけが線引きになる。
上手い人が偉いのでもない。速い人が偉いのでもない。
AIを使う人が偉いのでもないし、使わない人が偉いのでもない。
手を止めた瞬間に、その肩書きだけが残る。
これはもちろん、私の考えです。正解ではないです。
ただ、この考え方だと、自分が何をすればいいかがはっきりします。
私が考えている覚悟は、自分にだけ向けたものです。
このAI時代で、自分がどうするか、という話です。
クリエイターはクリエイティブが好きだ、と私は以前記事に書きました。
その言葉を、自分で嘘にしないための戒めでもあります。
だから、新しいものが出たら、まず自分で見る。
興味を持ったら触る。使うかどうかは、触ったあとで決める。
触った結果、ほとんどは使いません。それでも、触ってからやめています。
自分が選んだことで起きる結果も、自分で引き受ける。
うまくいかなければ直す。
見当違いだったなら、認めて別の方法を試す。
そして、また作る。
もう一つあります。
現場にいるからこそ見えているものを、
外に出さずに自分だけのものにしておく、という選択肢がある。
中にいる人間は、黙っていたほうが得をする場面が多いです、
ただ、そんな想いを抱えたまま沈む未来のほうが、私には近く見えています。
それなら、大波の中でどこなら埋もれずに済むのかを考えるほうがいい。
私は一度、「一緒にやろう」と声をかけ、日頃から考え方をシェアし、人を巻き込みました。
全員を同じ場所へ連れていくつもりはないですが、
自分が掲げたことに対する責任は持ちたいと考えています。
知った技術は渡す。
考えていることは、できるだけ言葉にする。
面白いものを見つけたら、まず自分がやる。
そして、自分自身が作ることをやめない。
これからも、昨日まで値段のついていた作業が、
当たり前のように出来るようになっていくと思います。
今日覚えた操作を、明日は子どもが使っているかもしれません。
その時、何が残るのか。
たぶん、値札のほうが先に剥がれます。
残るのは、まだ”作っているかどうか”だけです。
そして、もし本当に何も残らなかったとしても、その時はまた、そこから作ればいい。
そもそも私も、数ヶ月前にcodexやclaude codeをまともに触れませんでした、絵でいうと棒人間しか描けないところから始めています。
「生き急いでるね」と言われた時、私は違うと答えました。
今なら、少し違う答え方をすると思います。
確かに、生き急いでいるのかもしれませんね。
そう言って、たぶん笑うと思います。
誰かに急かされているわけじゃない。急かしているのも、その人生を選択しているのも「自分」です。
自分で決めたことに、自分が追いつこうとしている。
たぶん、これはずっと続きます。
私は、そういう”創り続ける”クリエイターでありたいと思っています。
STΛCK



記憶は曖昧ですが「生き急いでいる」と言ったのは私のような気がしますね。
ご存知の通り似た環境で仕事をしてきており、その中で出会った能力あるアートディレクターは自分に厳しく、寝る間も惜しみ、仕事に打ち込んでる中で倒れました。生命に関わることではありませんでしたが。まあ、この業界のあるあるだと言えばそれまでです。
私自身も同じような時代がありましたが、創作できるのも命あってのこと。
何かに集中し、打ち込み、アドレナリンが出ている間は自分では気づきにくいものです。
むしろ好調とさえ思ってしまう。
なので私は最低限の睡眠と運動の時間を確保するようになりました。
もちろんそうしろと言うことでなく、私の経験から来る心配でしかありません。
でも止まれないことも理解できてしまうのは、私も同じだからでしょうね。
結局は到達などできない世界。
模索する中で、精神が肉体を凌駕する瞬間は、他に代えがたく、美しくも儚いものだと捉えてます。
どうせならEnjoyするしかないんですよね🐾
先日のLIVEでスタさんが過去の動画達を見せてくれた時、同じテーマでこんなに繰り返し作ってるんだ。それを積み重ねてのスタさんなんだ。プロってみんな出してくる作品は氷山の上の一部だけで、見えてないとこにはものすごい数のボツがあるんだろうなと感じました。
私は自分の仕事が好きで私なりに真剣に取り組んでるので、そこにかなり時間を取られています。けっこうヘビーな相談も多く、隙間時間や暇な時間に、愛犬をモチーフにした画像を作ることで癒しを得ています。趣味に割ける時間は限られているので、なかなか上達できません。
FunStackのメンバーさんはプロのクリエイターも多く、また、趣味でもプロ並みの方が多いように感じます。なので、先日ふと、私みたいな趣味レベルでもFunStackにいてもいいのかな?と思って質問したのです。スタさんは、楽しいだけでオッケー!と即答してくれましたね。
この記事を読んで、そうだった。ここは楽しいを溜めていく場所だったんだ。だから楽しく作り続けていけばいいんだ。と改めて思いました。
そして、メンバーみんなの楽しいのレベルを引き上げるために、GORIGORIKUNを独り占めせずに解放してくれた。おかげさまでSUISUI楽しくGORIGORI 生成できてます。
スタさん、いつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。